正論だと思った記事を転載。
DNユーザー、ならびにユーザーで無い方でも絶対に目を通して欲しい↓
■ あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。
要はプロに任せることです。■
転載で申し訳ないです。
ですが今一度、自分に出来ることをもう一度再確認していただき、自分本位の善意が現地の人たちにどう受け止められるのかを理解させられる一文だと思います。
以上です。
DNユーザー、ならびにユーザーで無い方でも絶対に目を通して欲しい↓
■ あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。
まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。
次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。
そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。
安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。
要はプロに任せることです。■
転載で申し訳ないです。
ですが今一度、自分に出来ることをもう一度再確認していただき、自分本位の善意が現地の人たちにどう受け止められるのかを理解させられる一文だと思います。
以上です。
コメント
ほぼ全文、その通りだよなーって思って読んでました。
が、安否確認のくだりだけは極論が過ぎるなーと思いました。
安否確認は、善意や利益などという考え方よりも遥か手前の「大切な人を心配する気持ち」という人間としてごく当然の感情から起こす行動だと思います。
速やかな日常への復帰が何より優先されるものであるのは確かですし、本当に被災者のことを思うなら耐えるべきと言えばそうなのかも知れませんが、「被災側の不利益」と断じてしまうのはあまりにドライ過ぎるのではないかと思いました。(まあ、書いた人間に言えって話ですがw)
安全な場所にいる人間の甘い考え方かも知れませんが、現地に親族がいるとして、とても耐えられるとは思えなかったものでちょっと書かせていただきました。
長々とすみません…
コメントありがとうございます。
確かに極論が過ぎるかもしれないですね。
自分も父親が単身赴任で関東のほうに居るので、速攻で安否の確認をしました。
親族を心配するのは当たり前の感情ですよね(T_T)
被災地外同士での安否確認などはまさに論外ですが、被災地では家族の声を聞くだけでも心が休まるなども考えられますよね。
もちろん回線は救急にあけるべきなので171などでの手段を優先すべきだとは思いますが。
と、ここで言っても仕方ないですねw
これ以上被害が広がらないことを祈るばかりです。
失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
一個人の意見としては、親族からの声が一番安心できます。
絶望的な状況こそ、声を掛け合うことが大事なのだとも思います。
ですがやはり一番願うのは、一刻も早く一人でも多くの方々が救済されることを願うばかりです。
正直、自分が出来ることなんて何もないなとここ2、3日でよくわかりました。。。
やろうとしていたことは実際自己満足であって、今はただプロに任せて、みなさんの無事を祈ることだなーと思いながら、読んでました。
安否確認はさすがに自分もしました。それを受け取った側も多少なりとも安心すると思うし。。。
個人的にはそのプロの方々を軽視する発言する人もいて、心が痛みます。
こういう考えがコモンセンスになれば、もう少しこの国も変わるかもしれないですね。
安否確認(特に電話)は、災害云々関わらず「相手の生活の間に割って入るもの」という意識を持たないといけないと思います。
ただ、相手がそれどころでないときもありますから、言い分もわからなくないです。
だから様々な手段を併用したり、また受けられるようにした方がベターかな、と読んで思いました。
自己満足は、ホントに被災者の方々のためになるのであれば、
それが個人の自己満足でもいいんでしょうけど……心の裏は知れません。
自己満足で多額の義援金を寄付している人もいますからね。
要は「できないことはやらない」ということでしょうか。
安否確認ですが、
自分は横浜在住で、多少の煽りを食らいました。無事でしたが帰宅難民になりました。
また、十数年前の釧路沖地震では青森にいたので、そっちのが大変でした。
そんな時、自分の身の安全(今回に関しては暖を取る場所だけですが)で精一杯。
相手を安心させるより、今現在の自分が最優先でした。
無事である以上、少し後になっても連絡はできますからね。
自分の場合、大丈夫じゃなくても相手を安心させるために「まぁ、大丈夫」とか
言ってしまいそう(嘘も方便)なので、安否確認自体があまり意味を成しませんが;